2016年12月
大宰府ラグビークラブの山国合宿【中津からあげ ぶんごや】
こんばんは、豊国畜産、中津からあげ「ぶんごや」のブログ担当のNです。
過日、中津市山国町のコロナ運動場で福岡県太宰府市の太宰府ラグビークラブの練習が行われ四十数名の子供たちとその父兄、約三十名が山国町の「やすらぎの郷」で合宿をしました。「中津からあげ」を大
量に御注文頂きありがとうございました。
守実温泉にある「やすらぎの郷やまくに」は以前は町営の「憩い荘」と言っていました。
2003年春にリニューアルされサウナ室、家族風呂やレストランなどが加わり、簡易宿泊施設とログハウスを新築し、宿泊もできるようになり、名前も「やすらぎの郷やまくに」と変わりました。
「やすらぎの郷やまくに」のポスターのキャッチコピーには「万葉の里に生まれた天然温泉と四季の食を楽しむ施設」と書かれてています。
この温泉の源泉は約50年前に川の中で発見されたもので、今は旅館など約数軒で共同使用されているようです。ここもその中の1軒で、泉質は弱アルカリ性単純温泉で、リュウマチや、神経痛、病後の疲労
回復に効果があります。
マリア様出現!
こんばんは豊国畜産、ぶんごやの、「豊後牛」と「中津からあげ」ブログ担当のNです。
昨日は、孫の通うグレース保育園でクリスマス発表会があり孫のみひろが聖マリア様の主役になり出演しました。グレース保育園は1974年に創設され、現在市内殿町にある日本
キリスト教団中津教会が、キリスト教の精神に基ずき「地域に仕える愛の業」としてはじめたものです。「生命」と「平和」をテーマにした保育園です。
グレース保育園から皆さまへメッセージとして
一、私達の住んでいる世界はすべてのことに神様の愛が働いておられることをキリスト教保育の中で伝えています。
二、生きる力のある子供の成長を支え、さまざまな体験を通じて、たくさんの人々や生命との出会いを大切にしています。、
三、豊かな体験は喜び、心地よさ、楽しさ、共感など、次から次へと感動をもたらし、コミュニケーション能力の発達を支え豊かな表現へとつなげます。
豊国畜産「ぶんごや」は縁あって5年位前から園児の給食材料に「中津からあげ」や「豊後牛」を納品させて頂いています。」有難うございます
礼状有難うございます。
こんにちは、ブログ担当のNです。
先日、聖ヨゼフの可愛い子供たち礼状がとどきました!
「おいしいおにくありがとう、おいしかったよ、Yちゃん」
「おいしいお肉をありがとうございました、おいしかったです。ありがとうございました。Kちゃ
ん」
「おいしいお肉を有難うございました。みんなおいしいといっていました、ほんとにありがとうございました。またよろしくおねがいします、まっていますね、よろしくおねがいします。がんばってください。
Kくん、Yちゃん、」
又、聖ヨゼフの施設長、職員、の皆様からも丁寧な礼状を頂き有難うございました。
豊後牛のすきやきを食べて頂き、喜んで頂き大変嬉しく思っています。「中津からあげ」や「豊後牛」のすきやきを又いつの日か、届けさせて頂きます。子供たちにはくれぐれもよろしくお伝えください。
30年ぶり『大相撲中津場所」
こんにちは、ブログ担当のNです。中津市では30年ぶりとなる冬巡業の『大相撲中津場所」が5日、市内のダイハツ九州アリーナであった。中津高≪現中津東)高出身の嘉風関や宇佐産業科学高出身の松鳳山関
らが迫力ある取り組みを披露し、県内外からつめかけた約2500人をたのしませた。 幕内土俵入りで嘉風関がちいさな子供を抱いて登場すると場内あちこちから声援が飛び、取り組みで人気力士遠藤をうっちゃ
りで下すとひときは大きな歓声。 子供たちとの稽古にも参加し嘉風関の旨を借りた中津相撲教室の前田英龍君(大幡小6年)は「緊張したけどうれしかった。嘉風関はかっこよかった。」
又、合間に相撲甚句や禁じ手を
面白おかしく紹介するしょっきりなど巡業ならではの見世物もあり、会場のファンは大相撲の世界を満喫していました。「中津からあげ」や豊後牛の焼き肉が相当消費されたのではないでしょうか?
市内の焼肉やさんは何処も満席だったそうです。「中津からあげ」と「豊後牛」どの位たべたのでしょう?
清浄園の子供たちにすき焼きを腹一杯
皆さんこんにちは、ブログ担当のNです。
先日中津市大貞の清浄園の子供たち四十数名と職員に、美味しい豊後牛をすき焼きと、「中津からあげ」の試食を持参し食べて頂きました。子供たちも久しぶりに美味し豊後牛すき焼きを食べて喜んでくれたことと
思います。
清浄園は1947年【昭和22年】12月中津市下宮永84番地に浅田隆子様により開園されました。太平洋戦争の末期、東京の空襲と食糧難を逃れて、父のふるさと大分県中津市に疎開。
ここで出会ったのが戦災で家を焼かれ、親を亡くした子供たちだった。浅田先生はもともと困った人を見ると後先かまわず助けるような性格であり、このときも子どもたちを助けようと一心に努力したけれど食べ物も
なくお金もない。戦後の食糧難はきびしく皆が飢えていた。浅田先生は故郷の東京へ何度も帰ろうとしたが結局子供たちを見捨てる事ができずに、中津市にとどまって子供たちの収容施設の保母となった。それが
社会法人清浄園の出発です。機会があれば今度は「中津からあげ」を腹一杯ごちそうします。
続。「ぶんごやさん」ありがとうございました。
こんにちは、ブログ担当のNです。
北部小学校2年生の職場見学です。からあげをくれてありがとうございました。むとうゆう、より。ぶんごやさんへ、このまえはしつもんにこたえてくれて、ありがとうございました。しかも、からあげもくれました。
、よそのからあげよりおいしかったです、うれしかったです、にしごうりさき、より「ぶんごやさへ、このまえのからあげおいしかったよいつかぼくと、おかあさんでかいにくるよ、おおかみひとみ。
「ぶんごやさんへ、このまえはわざわざしごとをやめて、しつもんをきいてくれてありがとうございました。いいぬまさくら、より」「ぶんごやさんへ、からあげをくれてありがとうございました、いろんなしつもんにこたえて
くれて、ありがとうございました。かくはるみ、より」「ぶんごやさんへ、、からあげくれてありがとうございます、ながと、より」「ぶんごやさんへ、、このまえはぶんごやのからあげ、おみやげにありがとうございました。
とてもおいしかったです、ゆあ、おり」「ぶんごやさんへ、、からあげくれてありがとうござました、こんどぶんごやさんにいってからあげをかってたべたいです、ゆうか、より」
まだまだ続きますが又の機会に紹介させていただきます。子供は素直で正直です。見習いたいデスネ<(_ _