スタッフブログ
台湾メディアの取材
こんにちは、「ぶんごや」ブログ担当Nです。
先日、台湾メディアの記者フィニンさんとDACGROUP営業部廣瀬さん、中津市役所企画観光部、観光推進課観光推進係チーフ安部様が、「中津からあげ」取材の為来店下さいました。
青の洞門や中津城を取材して「中津からあげ」ぶんごやに来て頂きました。台湾からの観光客を誘致推進する為の、一つのコースとして、計画立案される事と思います。中津市には、福沢記念会館や合元寺、寺町周辺にも眠った観光資源が数多くあると思はれます。海外からの観光客が増えて、中津が活気になれば大変結構な事だと思います。
お客さんの声~ 岡山県倉敷市水島工業高校から家族5人で来ましたきました。美味しそうな匂いです早く食べたいなー~友達にも買って帰ります。別府の温泉はすごく快適でした(^o^)Iさん~
メディアへの感謝!
こんにちは、「ぶんごや」ブログ担当Nです。
最近では、「中津からあげ」が全国的にも有名になり、県外からのお客さんも大変多くなりました。
中津からあげのグループ店も全国各地に、数多く出店しています。当店では1998年関西TVの
「発掘あるある大事典」で取材を受けて、それ以来今日までTVで25回、ラジオで2回、海外メディア3社、情報誌8社、の取材を受けました。お陰さまで全国の皆さんに、「中津からあげ」を知って頂き、からあげファンも増えています。本当に有難うございます。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます<m(__)m>
中津からあげ協会におきましても、メディア各社の方々には、心からの敬意と感謝を表することと思います。
これからも「中津からあげ協会」もどうぞよろしくお願い申し上げます。
水害と中津の大偉人
若松常一郎翁は明治27年4月、現在の吉富町高浜で材木や海産物を扱う回送店の長男に生まれました。
昭和19年9月の暴風雨で、山国川の金谷堤防が決壊。市内の住宅3割以上が床上浸水。又山国川流域各地に大災害をもたらした。若松翁はその災害後、山国川の堤防改修に尽くすことを決意し、戦中戦後の混乱期にかけて、内務省他関係省庁へ陳情の為私費で上京。その陳情回数は実に50数回に及んだ。昭和23年8月山国川の堤防工事は、戦後全国初の直轄河川工事に取り上げられ、大規模な工事が始まり、昭和32年には磐石な金谷堤防が完成した。それ以来中津市民は、豪雨による堤防決壊の不安から解放され、安心して過ごせるようになった。若松翁は昭和23年11月中津商工会議所会頭に就任以来、6期目の昭和35年12月66歳の人生を終えた。
山国大橋の袂には翁の胸像と「偉業を永久に讃え 英姿を刻んで山国川の護りとする」文が刻まれています。
福沢諭吉に次ぐ中津の大偉人ではないでしょうか?